適応障害になった40代理学療法士
私は40代中盤の理学療法士です。2022年12月末、老人保健施設の主任という立場でありながら、職場の複数の部下からハラスメントに遭い、適応障害になりました。そして、人生初の休職を経験し、復職することなく退職しました。それは、突然の、まさかの出来事でした。
私は、以前、理学療法士の養成校で教員として勤務していました。臨床実習に臨む実習生は不安と緊張でいっぱいです。実習生の中には、臨床実習を有意義に過ごす者もいれば、毎日が地獄のように過ごす者もいます。そして、後者の場合、一部に実習施設へ行けなくなってしまう者がいます。この原因は、何でしょうか?
それは、私と何ら変わりません。おそらく、適応障害を発症したことによるものでしょう。適応障害とは、後で簡単に説明しますが、明確な強いストレスから起こるメンタル不調です。実習生にとってのストレス要因は、実習指導者なのか、指導者以外の職員なのか、担当患者なのか、その実習生にしかわかりません。ただ、ここで言えることは、多くはハラスメントをはじめとする人間関係の悪化が強いストレスとなり、最悪の場合、適応障害を発症してしまいます。私は、医師ではないので診断はできませんが、公認心理師という立場と、自身の経験から、そのように判断しています。
私の場合、いかにして適応障害を発症したのか?
以下に、私に起こった体調の変化を書き出したいと思います。臨床実習が怖くなった実習生の皆さんに当てはまるものがないか、確認してみて下さい。
私の体に起こった体調の変化
思い起こせば、発症の2ヵ月前から原因不明の耳鳴りやまぶたの痙攣が出現していました。当初は、ストレスが溜まっているのかな、と軽く受け流して生活していたのですが、念のため耳鼻科を受診し、いろいろな検査を行いましたが、結果は異常なし。医師にも機能的な部分には問題なく、心因性の可能性も否定できない、と説明を受けました。そして、耳鳴りの薬を2週間分処方されて様子をみましたが、結局、改善するには至りませんでした。
そして、発症の1ヵ月前、ある日突然、リハ科の一部のメンバーから突然の無視が始まりました。
リハ科は私を含めた6名の小規模な組織です。その中の3人の態度が、ある時一変しました。私が話しかけても目も合わさず、返事はするものの声は小さく、会話は続きません。そのような生活が2〜3日続くと、徐々におかしくなってくるものです。その時の生活は今振り返っても生き地獄そのもので、思い出したくもない経験です。
この時、私の内面でいったい何が起こっていたのでしょうか?
体調の変化は、無視をされてから2週間を過ぎたあたりから徐々に起こりました。
1.職場でされたことを思い出して、眠れない。
まず、睡眠障害が起きました。夜は22時に眠りについても、2〜3時間で突然目が覚めてしまい、無視されたメンバーのことを思い出してしまう。中途覚醒というやつです。ずっとそのことを考えているため、目をつぶっても眠れません。気付けば、外が明るくなっているという日々が続きました。
2.職場に行くのが怖くて、震えて、動悸がする。
また、同時期に、震えと動悸が起きました。出勤のために車を運転するのですが、職場が近付くにつれて足が震え出します。それと同時に動悸がし、職場が怖くて怖くてたまらなくなります。駐車場に到着しても震えと動悸はおさまりません。職場の玄関までの道中、無理やり気持ちを押し殺し、頭を真っ白にして玄関に入る、という日々が続きました。
3.自分を責めて、涙が流れる。
おまけに、涙腺崩壊です。突然、涙が流れ、自分を責めてしまいます。自分の何がいけなかったのか・・・私は周囲に何をしてしまったのか・・・この先、どうなるのだろうか・・・訳がわからなくなり、出勤時の車中、帰宅時の車中、1人になると涙が流れ、毎日、ひたすら自分を責め続けました。
こんな生活が約1ヵ月弱続きました。
1ヵ月後に起こった体の限界
毎日、泣いて、震えて、眠れない・・・そんな生活っが続くと、いろいろ考えるものです。
「今まで積み上げてきたものが崩れ去るようだなあ・・・」
「人生詰んでしまったなあ・・・」
「俺ってこんな弱い人間だったかなあ・・・」
そんなことを毎日考え、頭を駆け巡り、自分を攻め、人間不信となり、うつ状態が続きます。その間、気分転換になるかと思い、家族でスキー場に行ったのですが、全くもって楽しめません。リフトを待っている間、ふと職場のことを思い出してしまい、涙が出てくる状態です。そんな自分に初めて出会うので、さすがに「これはやばいな」と、薄々感じてきます。
そして、追い討ちをかける出来事がやってきます。
臨時のリハ会議を開催されました。そこに事務長や看護師長も加わり、リハ科の空気を乱した私の責任を一斉に糾弾してきました。そこは、私に対する不平、不満を一気に吐き出す場と化しました。一方的な追及に、反論の余地もなく、黙って聞いているだけです。いつしか、皆の前で号泣していました。
今思えば、追求されたことは些細なことです。
・主任としての仕事をしない。
・主任はいつも軽い利用者だけを担当する。
・仕事を抱えて忙しいと言うが、仕事を周りに振らない。
・自分がやると言った仕事も、まともにできていない。
・本音を言わず、何を考えているのかわからない。
・・・等々です。
しかし、これらを7対1の状態で言われると、外から見れば集団からのいじめ状態ですね。私の上長である事務長や看護師長が味方になってくれなかったことには、心の中で「こいつらも俺を追い出したいのか」と思い、悔しかったですね。
また、これらの追求が、一番年下で敬語も話せず自分のことしか考えていない部下、利用者や他職種職員から常々クレームばかり来ている部下、時短勤務の自分勝手な部下、セクハラ問題を抱えている部下から言われた時には、正直、ハラワタが煮えくりまくって沸騰しそうでしたけど(笑)。でも、自分は号泣しているし、とてもとても反論できる空気ではなかったので、黙って聞いていましたけどね(笑笑)。
この時、私を追い出す空気が、すでにリハ科にでき上がっていたのですね。誰も私をかばう発言をする人はいませんでした。そして、誰も私の味方になってくれませんでした。そうなると、その空気に抗うことは、もはや無理です。ついに心が折れてしまいました。
臨時のリハ会議が行われた数日後、心療内科の受診をしようと決心します。人生初めての出来事です。
心療内科を受診し休職へ
心療内科というのはなかなか予約が取れないところですね。この時初めて知りました。評判の良いクリニックだと、予約は明日、明後日というレベルではなく、何週間後というレベルです。できるだけ早く予約を取れるクリニックを3〜4件探し、ようやく見つけることができました。
心療内科では担当医よりうつ状態と診断されました。私は、この時には自分の状態をいろいろと調べており、適応障害ではないかと担当医に尋ねました。しかし、担当医からは適応障害としてしまうと、ストレス要因を探すこととなり、職場の誰かに責任を問う問題に発展しまう。そうなると復職できなるからうつ状態にしておきましょう、と言われました。そして、医師の配慮からうつ状態との診断を受け、診断書をもらいましたが、うつ状態でも診断書としては問題はないそうです。
ちなみに、適応障害を簡単に説明すると、以下の通りです。
適応障害とは、「強いストレスから憂うつな気分や落ち込みといった心の不調が出現し、日常生活を送ることが困難になる病気」です。
特徴は、強いストレスに明確な理由があることです。私の例では、無視を引き金としたリハ科の人間関係が強いストレスでした。
診断書の効力は絶対です。診断された翌日から1ヵ月間の休職に入りました。当然、1ヵ月では良くなる訳もなく、再診でもう1ヵ月間の休職期間の延長の診断書をもらいまいした。休職を選択した時点で、私の中ではもうこれ以上、この職場で働き続けることは不可能だと感じていました。
休職、そして、退職、転職へ
休職した段階で、すでに退職する決意を胸に抱いていたのですが、休職後の最初の1ヵ月は、次の職場のことなど考えられることすらできません。まして、仕事を探す気力なんて、全くありません。家でテレビを見たり、散歩したり、ただ流されるまま、無気力な日々を過ごしていました。
休職2ヵ月目に入ると、徐々に、本来の自分を取り戻してきます。そうなると、少しだけですが現実を考える余裕が出てきます。この時、職場へ退職願を提出しました。年度末での退職です。すると突然、不安が襲いかかってきます。家族がいる身で、40代半ばでの予定外の転職・・・この先大丈夫だろうか?
現実は、なかなか厳しいものがありますね。
給料面で今の条件を満たす職場は、なかなか見つかりません。人材紹介会社にも登録しましたが、思うようにいかないものです。理由は簡単です。年収が高いからです。紹介会社の収益は成功報酬型です。会社によって異なりますが、求職者の年収の20〜30%を転職する施設が紹介会社に支払います。例えば、400万の年収を希望すれば、転職する施設が紹介会社に80〜120万円を支払わなければいけません。
だからこそ、転職は若手が有利なのです。
こうして思うようにいかない日々が続き、相当苦労しました。そして、いろいろと転職活動した結果、結局、紹介会社を通さず、自力で見つけた今の職場に決まりました。現在は、以前よりは心の傷は癒え、穏やかに仕事をしています。本当に、人生・・・何が起こるかわからないものです。
認知行動療法との出会い
不安に押しつぶされそうな休職2ヵ月目でしたが、この状況を何とかして切り抜けたいとも考えてもいました。今思えば、インターネットで適応障害について検索しまくっていましたね。ある時、適応障害を発症した人のブログを読んでいると、「認知行動療法」という言葉が目に留まりました。
そこで「認知行動療法」について詳しく調べてみると、今の私の状態を改善できるかもしれない、と感じました。そして、この方法なら今の心の重みを軽くすることができるかもしれない、と感じました。早速、以下の書籍を購入して読んでみると、大変興味深いものでした。
私が参考にした「認知行動療法」に関する書籍
- 大野裕著:「はじめての認知療法」講談社現代新書
- 玉井仁、他著:「マンガでやさしくわかる認知行動療法」日本能率協会マネジメントセンター
- 大野裕、他著「簡易型認知行動療法実践マニュアル」ストレスマネジメントネットワーク
以下、上記書籍を参考文献として解説していきます。
認知行動療法とは、以下のように説明できます。
認知行動療法とは、「極端な考えや行動を修正することによって心を整え、気持ちを軽くするアプローチのこと」です。
この極端な考えというところがポイントです。私の場合、「私はダメな人間だ」とか「自分を雇ってくれるところはもはやないのではないか」とか考えていました。
しかし、これは、極端な考えなのです。はたして、私は本当にダメな人間なのでしょうか?また、この先、本当に雇ってくれるところはないのでしょうか?そんなことはありません。ものの見方を一方向だけでなく、他方向から見るようにすることが認知行動療法のアプローチの1つです。
認知行動療法については、別の記事で、もう少し詳しく解説します。
いずれにしても、認知行動療法の学びが、不安に悩まされていた自分を解放してくれたと、今は思います。こんな経験をした私ですが、臨床実習が怖くなったPT実習生へ、最後に1つだけアドバイスを送ります。
臨床実習が怖いと感じるのは、そこにストレス要因があるためです。実際、精神的につらい状態では、視野が狭くなり、現実を見ているようで、実際は見ていないと思います。その時は、まず、友人や先生に相談して下さい。狭くなった視野を広げてくれるはずです。
相談しても改善されない場合、実習地の変更を申し出て下さい。強いストレス源がそこにある限り、自分の体調は改善しません。我慢する必要はありません。とにかく、そこから逃げるのです。逃げることは、悪いことではありません。自分を守る行動なのです。
今回の経験を通して1つ言えることは、今、あなたがいる環境が人間関係に問題があるなら、そして、ハラスメントが存在するなら、そこからすぐに逃げて下さい。愚痴が多い職場も危険です。私がハラスメントを受けた職場も愚痴が多い職場でした。環境が変わらない限り、自分が追い詰められるだけです。その後のことは、結局、どうにでもなるものです。
私のような辛い経験を、理学療法士を目指す実習生にはしてほしくありません。それは、希望を持って臨床実習に臨んだ結果、適応障害を発症したような実習生を何度か見てきたからです。毎日、泣いて、震えて、眠れない生活は、生き地獄そのものです。だからこそ、そうなる前に誰かに相談してほしいのです。認知行動療法は、自分の落ち着きを取り戻してから助けになってくれます。
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